CLUB DEEP DIVE ・ TEMPORADA 2026/27

アトレティック・クルブ
完全ガイド

「アスレティック・ビルバオ」ではなくアトレティック・クルブ。クラブ自身がそう呼んでほしいと発信している、バスクという国のアイデンティティそのものを体現するクラブ。哲学の背景から選手一人ひとりのプレースタイルまで。

Athletic Club
Athletic Club
ビルバオ/ビスカヤ県・バスク州 ・ 創設1898年

呼び方について:なぜ「アトレティック・クルブ」なのか

日本では長らく「アスレティック・ビルバオ」という呼称が定着しているが、これはクラブが望む呼び方ではない。クラブ自身が公式に「アスレティック・ビルバオとは呼ばないでほしい」と発信しており、現地メディアも一貫してアトレティック・クルブ(Athletic Club)と呼ぶ。

理由は単純で、このクラブはビルバオという一都市だけの存在ではなく、バスク州全体(バスク・カントリー)を代表するクラブだから。「ビルバオ」を付けて地域限定のクラブであるかのように呼ばれることを、クラブは望んでいない。

「アトレティック」というスペイン語読みも意図的なもの。創設期にイングランド人が深く関わった歴史から英語の「アスレティック」由来ではあるが、スペイン語圏のクラブとしてスペイン語読みで呼ばれることを彼らは誇りにしている。

このガイドでは現地の呼び方に合わせて、一貫して「アトレティック・クルブ」の表記を採用している。

バスク人のみ、という哲学

アトレティック・クルブ最大の特徴は、創設以来一貫してバスク出身、またはバスクで育成された選手のみでチームを編成してきたこと。1994年のボスマン判決以降、欧州のクラブが軒並み多国籍化する中でも、この方針を貫き通してきた稀有な存在。

2000年代後半には「この方針では戦力的に降格するのでは」とまで言われた時期もあったが、当時取材したファン・サポーターの多くは「たとえ降格してもフィロソフィーは変えるな」と口を揃えたという。それほどまでに、バスク人としてのアイデンティティを体現する場としてこのクラブが機能している。

ただし「バスク人」の定義は、あえて厳密にされていない。バスク州(ビスカヤ・アラバ・ギプスコア3県)という現代の行政区分だけでなく、歴史的・文化的な「バスク・カントリー」の定義に基づけば、隣接するナバラ州(オサスナの地元)やフランス側のバスク地方も含まれる。この曖昧さが、クラブに絶妙な柔軟性を与えている。

象徴的なのがウィリアムス兄弟(イニャキ、ニコ)。両親はガーナ出身だが、バスク州で生まれ育ち下部組織で育成されたことで「バスク人」として迎え入れられている。血統ではなく、育った土地への帰属を重視する、意外に開かれた哲学。

育成競争の裏側:オサスナ、レアル・ソシエダとの関係

歴史的なバスク・カントリーの定義にナバラ州を含めることで、アトレティックはオサスナ(パンプローナ)の下部組織で育った有望株を積極的に獲得してきた。ヘスス・アレソやアイトール・パレデス、アレックス・ベレンゲルらはいずれもナバラ/オサスナ育ちの系譜。オサスナ側は「自分たちの県ではないのに選手ばかり抜かれる」と不満を募らせているのが実情。

一方、同じバスク州のライバル、レアル・ソシエダ(ギプスコア県)から直接選手を引き抜くのはほぼタブー。数少ない例外である2018年のイニゴ・マルティネスの移籍(違約金を払っての電撃移籍)は当時大きな物議を醸した。バスク・ダービーは激しい対抗心と同時に、こうした一線を越えないという暗黙の了解の上に成り立っている。

ギプスコア県では13歳以下の競技チーム編成が県のスポーツ法で禁止されているため、ソシエダの下部組織も小学生年代のチームを持てない。この「隙間」を突いて、アトレティックが有望なタレントを早期に発掘・勧誘するケースもあり、美しい哲学の裏側には育成競争の生々しい駆け引きも存在する。

サン・マメス=「大聖堂」

本拠地サン・マメスは、地元で古くから「ラ・カテドラル(大聖堂)」と呼ばれてきた。街の中のスタジアムに「大聖堂」という呼び名がつくこと自体、このクラブがバスク人の生活の中でどれほど特別な存在かを物語っている。

生まれた時からアトレティックのファン。年間シートを持っていて、当たり前のようにサン・マメスに応援に行く——現地の女子高生グループへの取材でも、そんな言葉が返ってきた。祖父母から孫まで3世代、ときにそれ以上が代々ユニフォームを受け継いでいく。

収容53,331人のスタジアムが、毎試合ほぼ満員になる。近年のスペインは高齢化が進み「若者にどうフットボールを届けるか」がクラブの課題とされてきたが、現地で見る限り、サン・マメス周辺は驚くほど若い世代で溢れている。応援そのものが、バスクの若者にとって欠かせない生活文化として根付いている証拠と言える。

なぜセンターバック・GKの名手が多いのか

バスク地方には、丸太切り(アイスコラリツァ)や石担ぎ(アリ・ハソツェア)といった、力強さと屈強な体格を競う伝統スポーツが根付いている。バスク人は骨格・体格の面で他のスペイン地域とは異なると現地でも語られるほどで、これが伝統的にセンターバックやゴールキーパーの名手を数多く輩出してきた土壌になっている。ウナイ・シモンやダニ・ビビアンといった現在のスペイン代表クラスの選手も、この系譜にある。

クラブ史上のタイトル

創設
1898年7月18日
本拠地
サン・マメス(収容53,331人)
愛称
ロス・レオネス(獅子軍団)
リーガ優勝
8回(最後は1983-84)
コパ・デル・レイ
24回(歴代2位の多さ)
スペインスーパー杯
3回

2024年のコパ・デル・レイでは決勝でマジョルカをPK戦の末に破り、40年ぶりの同タイトル制覇を達成。1958年のコパ決勝でディ・ステファノ擁するレアル・マドリーを破った際は「エル・エキポ・デ・ロス・オンセ・アルデアーノス(11人の村人チーム)」と称され、バスク人だけで編成したチームが名門を打ち破った象徴的な一戦として語り継がれている。

監督:エディン・テルジッチ

1982年10月30日生まれ、旧西ドイツ・メンデン出身のドイツ・クロアチア系指揮官。2026年夏、6年間指揮したエルネスト・バルベルデの後任としてサン・マメスの指揮官に就任した。契約期間は2028年6月まで。

ボルシア・ドルトムントでスカウト・ユース助監督としてキャリアをスタートし、ルシアン・ファーヴル監督のアシスタントを経て2020年12月に暫定監督就任。同シーズンDFBポカール優勝とブンデスリーガ3位に導いた実績を持つ。2022年に正式に監督復帰し、2024年にはUEFAチャンピオンズリーグ決勝進出(レアル・マドリー相手に敗戦)まで導いている。

ユップ・ハインケス以来、クラブ史上2人目のドイツ人監督という点でも注目されている。

チームのプレースタイル

① 可変型の4-2-3-1
基本布陣は4-2-3-1だが、選手構成や相手によって4-3-3にもシフトする柔軟性を持つ。ドルトムント時代から続く、状況に応じた可変性が持ち味。

② ダイナミックなポゼッション
就任前のコメントでは「よりダイナミックなボール保持」を志向すると明言。2ボランチを軸にセンターへの縦パスを警戒しつつ、機を見て前線全体で高い位置からプレッシングを仕掛ける。

③ ウィリアムス兄弟を軸にした両翼のスピード
イニャキ・ウィリアムスの裏抜けとニコ・ウィリアムスの突破力、両翼の圧倒的なスピードを生かした縦への速い攻撃が生命線。

④ 手の内を明かさない采配
テルジッチは開幕前、あえて事前にスタメンを発表しない方針を明言。相手に対策を練らせない駆け引きも指揮官としての特徴のひとつ。

直近の一戦:第2節 vs セビージャ(2026年8月22日、サン・マメス)

結果は1-3で敗戦。開幕から連勝スタートを狙ったホームゲームだったが、セビージャの前半終了間際からの猛攻に沈んだ。オソに先制点を許すと、後半立て続けに失点を重ね、終盤アイトール・パレデスが1点を返すのが精一杯だった。布陣は4-2-3-1

58分にウィリアムス兄弟を交代(イニャキ→ニコ)、グルセタ→サナディと前線を一気に入れ替えて反撃を試みたが、時すでに遅し。アイトール・パレデスの一発(70分、ジェライ・アルバレスのアシスト)で意地を見せたのが救いだった。

選手名鑑の見方

Transfermarkt・BeSoccer・クラブ公式発表(2026年8月時点)をもとに作成。背番号は2026-27シーズンの新背番号発表(2026年8月17日)に基づく。今夏の加入はほぼ全員がレンタル復帰で、外部からの有償補強は確認されていない。

GK ゴールキーパー
DF ディフェンダー
MF ミッドフィールダー
FW フォワード